| 所有者の変遷 |
|
設計者、施工者、 その他情報 |
|
| 様式、特徴 |
黒漆喰の店蔵として、周囲の蔵の屋並とともに一連の町並みを形成している。2階部分の窓に防火戸として鉄扉が引込戸として取り付けてある。北側の腰壁は海鼠壁で、正面の腰壁はタイル張りに張り替えられているが、当時の姿をうかがうことの出来る修景である。 |
| 構造 |
土蔵+木造2階建て 塗込蔵 |
| 建物の使われ方 |
現在では1階は會津壱番館というインターネット喫茶(昭和51から)、2階は野口英世青春館という資料館となっている。会陽医院(渡部医師)移転の後は、3代の医院が開業した。 |
| 年間利用者 |
|
| 歴史、変遷 |
当該建築物は、第六十銀行として建てられたが、銀行はわずか5年で閉店し、明治24年に会陽医院となった。隣接する土蔵と後方にある木造2階建ての建物を総合して旧会陽医院と称されるものである。旧会陽医院の1階は診察室、手術室、待合室に使用され、2階は書生部屋に使用されていた。 |
| 地域の思い |
当建築物の周辺地域は「野口英世青春通り」と呼ばれ、大正ロマン調のまちづくりに取り組んでいるところである。この建物はその雰囲気づくりの核となるものの一つであるとともに、通りを訪れる人々に古くから慣れ親しまれてきたものである。当時の四ツ角周辺は市の中心街として、また商業の町として繁栄し、交通の便もよく、医院にあっては、近郊からの患者も多く来院し、それぞれ財を残し、個人病院を建築され、成功されたと聞いている。現在ある木造2階建ての建物は、渡部先生が居宅として使用していたものである。 |
| 再生の目的 |
地域活性化、その土地固有の景観維持 |
保存・再生活用 に至る経緯、 地域の意見 |
|
| 手本事例 |
博物館「明治村」の黒漆喰の建物 |
機能・用途の変更 のための 改修操作 |
・北側に隣接する蔵は、會津壱番館と接続していたものであるが、ガソリンスタンド接設置のため、後方に移動させた。 ・戦後、新聞販売店、電器店、オートバイ販売店等の店舗が入ったため、内外部とも改造が加えられた。・正面の腰壁はタイル張りに張り替えられている。 ・構造体:1階奥の建物は鉄骨で補強した。 ・設備:喫茶店にするため電気、水、ガスなどの設備はすべて後で取り付けた。トイレを取り付けた。 ・外部:特になし。窓についても当時の木製のサッシのまま。 ・内部:面積を確保するため間仕切りを駆除した。カウンターを取り付けた。 |
法規クリアの ための改修操作 |
・会津壱番館は地元の人間が所有しているが、建物をのこし活用をしていくことを提案したのは東京出身の照島敏明氏であったため、当初は地元以外の人間の提案には誰もいい顔はしてくれなかった。 ・建築基準法の枠内で改修すればいいではないかという人々がほとんどだった。 ・再生・活用しても得をするのは所有者だけだという周囲の冷ややかな意見もあった。 |
建築の歴史や 記憶を残すために 保存したもの |
外部:一階エントランスは近代化によって道路側のファサードがRC造に変えられていた。これを黒漆喰のファサードに復元させた。昔の形に似せるのに最大の努力をした。 内部:柱に塗ってあった塗料を剥がした。また、天井に張ってあったデコラを剥がし梁をみせるようにした。 |
改修にあたって 現場で発見した 苦労など |
近代化によって昔の面影が外部、内部共に変更されておりそれらがボロボロの状態だった。 |
改修当時の 法規との関係 |
|
| 文化財等の指定 |
|
| 事業費 |
照島氏自らの財産で改修した。 |
| 補助金 |
|
改修後の声/ 今後の展望 |
今後も保存して行きたい。 |
| その他 |
・平成7年度、美しい会津若松景観賞まもる賞景観賞受賞。 ・会津歴史の街づくり事業調査対象。 ・平成9年度、歴史的景観指定建造物。 この景観賞の設定が古いものをのこすという意識改革につながった。 |
| 参考資料 |
|